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『ジーパンの女の子は出て行け』 1977年5月11日

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写真: 『ジーパンの女の子は出て行け』 1977年5月11日

写真: ミッテラン政権(社会党)誕生(仏) 1981年5月10日

1977(昭和52)年5月11日、大阪大学文学部でアメリカ人の非常勤講師フィリップ・カール・ベーダ氏が、「ジーパンの女の子は出て行け」と発言。
抗議の学生がジーパン姿で教室に押しかけ、25日にベーダ氏は辞任を表明するに至った。 

この日ベーダ氏は、遅れて教室に入ってきたジーンズ姿の3年生、A子さんに「ジーパンの女の子は出て行きなさい」と、A子さんが英米文学の講義を受けることを拒否した。
 
英語でベーダ氏にまくし立てられ、A子さんはベーダ氏の言葉を訳す余裕もなく、「Why」と言って教室を出た。この話を伝え聞いた友人達は翌週、講義の始まる前にベーダ氏に事実確に行く。ところが、その中の一人がジーパンを穿いていたのを見てベーダ氏は、「男子学生がズボンを穿くのは習慣だろうが、ヤングレディーの場合は不誠実だ。ジーパン女学生とは何も話すことはない」と繰り返す。

ベーダ氏は、終戦後間もなく来日、大阪大学では週二時間の講義を受け持ち、教壇に立っていた。また、毎年最初の講義では、生徒たちに三つの規則を要望していた。
?講義中はタバコを吸わないこと
?女子学生はジーパンを穿かないこと
?時間を守ること
よって、ベーダ氏が「女性のズボン姿」を嫌いなことは以前から知られていることでもあった。


25日、「女性差別の発言を取り消せ」と抗議の学生がジーパン姿で教室に押しかける。
また、取材に来たマスコミらに対し、ベーダ氏は英文の声明を読み上げた。
「10年前なら君達と議論したろう。私は老いた。君達の意見と合わないなら辞めるしかない」

これらの経過が報道されると、女性差別の「ジーパン論争」として全国的にも話題となった。


【熊野牟が思う事】
この事件は全く知らなかった。
しかし、この事件に関連した記事を読むと、ベーダ氏の偏った嗜好の問題としたり、それを女性差別に拡大して論じている傾向を感じる。

接客の仕事が長く、多くのクレームにも対応してきた経験から思うことは、人は不愉快な事象のひとつ目から怒りが沸点に達することは少ないと感じている。
例えば購入した商品に何らかの瑕疵があったとする。工業製品なので仕方がないと思う人もいれば、いきなり大きなクレームに発展する人もいる。この大きなクレームとして持ち込む人の話を聞くと、大抵の場合、販売に至るまでの過程における問題点を指摘される。
?入店時に「いらっしゃいませ」の声もない
?未熟な商品説明で、質問に対しても曖昧な回答しか返ってこない
?ようやく購入した商品が初期不良を起こした
商品のクレームとして持ち込まれた場合でも、その時点で?や?のような問題を指摘される事は多くあった。

このGパン事件でも、A子さんは遅刻をしている。(三番目の規則違反)
たぶん、この時点でベーダ氏の怒りのバケツは半分以上、その怒りで満たされていたと思う。
そして、遅れて来たA子さんの服装(Gパン)を見て、バケツは怒りで溢れかえった。

ベーダ氏の発言からも、そんなことを感じる。


熊野牟の場合、女性がGパンを穿いていても、何の怒りも感じない「おとな」のつもりだが・・
ミニスカートだと思ったものが、キュロットスカートだった場合、その怒りは瞬時にバケツ2杯を表面張力まで満たし、張力部分を、その怒りでブルブル震わすかも知れない。









写真は、「勉強しまっせ(未確認)、Gパン屋サカイ」

先週、5年ぶりにジーンズを購入した。この二年くらいで、かなりウエストサイズが変わり、今穿いているジーンズは、チワワを抱えた状態で穿いて、ちょうど良いぐらいになってしまった。

この店での購入ではなかったが、少し痩せたことでデザインの選択肢が広がり、ちょいワル風のお気に入りを買うことができた。

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コメント (2)

  • ハイフェッツ

    痩せたんだ〜チョイ悪?って?

    2015年5月12日 16:10 ハイフェッツ (13)

  • 熊野牟 秀太

    痩せたというよりは、お尻が小さくなっている。ちょっと前までは、お相撲さんのようにプリップリしてたのに・・・
    またひとつ、人生のカウントダウンを感じる。そんな今日この頃です。

    2015年5月13日 15:43 熊野牟 秀太 (16)

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