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2016_0424_160307_蒲生信号所跡

写真: 2016_0424_160307_蒲生信号所跡

写真: 2016_0424_161310_淀川連絡線跡 写真: 2016_0212_160626_大川と八軒屋浜

京阪電車の京橋駅と野江駅の中間、城東貨物線をアンダーパスするあたりのごく短区間で線路が地平に降りています。
昭和45年頃までここに蒲生信号所が設けられていました。
京都方面から来た複々線が、この蒲生信号所から大阪側は複線になっていましたから、ここの信号所で大阪から来た電車を複々線内側線外側線に振り分けたり、京都から内側線外側線を走ってきた電車がぶつからないように交通整理していました。

昭和初期、ここから京都方面、守口までの複々線化を行った時、大阪方面は国鉄城東線(現在の環状線)高架化工事による旧線路敷の払い下げを受けて梅田に達する新線を建設する目論見があり複線のまま据え置かれた経緯がありますが、梅田乗り入れは立ち消えになっています。
長らく大阪側は複線のままで粘っていましたが、いよいよ増え続ける乗客に対応できなくなり、昭和45年にはこの先、京橋、天満橋まで複々線化され、この信号所は廃止になっています。

京阪とこのすぐ先で斜めに交差する城東貨物線に囲まれた三角形の敷地は当時から京阪の線路とこの道路一本を隔てて勝手に子供が三角公園と呼んでいた児童公園になっていて電車がよく見渡せます。

私は子供の頃、この近くに住んでいて、信号所があった当時、京都方面の複々線の外側を走ってきて複線区間に入りかけていた普通電車に、複々線の内側を走ってきた急行電車が追突するという事故があり、父親に連れられて野次馬しにいったことを憶えています。

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