ヘルプ

品川勝島倉庫爆発火災  1964年7月14日

  • 1
  • 2
  • 4079

写真: 品川勝島倉庫爆発火災  1964年7月14日

写真: 吉野家が倒産 1980年7月15日 写真: 冷凍保存した受精卵での妊娠に成功 1989年7月12日

1964年7月14日21時55分頃、
東京都品川区勝島にある倉庫会社の敷地内に野積みされていたドラム缶入りのアルコール湿ニトロセルロース(硝化綿)が発火、爆発した。火は隣接する103号倉庫や105号倉庫にも燃え移り、倉庫内に保管されていたニトロセルロース・シンナー・ラッカーも次々に爆発・炎上していった。
通報を受けた東京消防庁は、大規模火災を見越して「火災第2出場」を指令、すぐに「火災第3出場」も指令、約1時間後には現場の消防隊から「追加要請」の連絡を受けて、最高ランクの出場態勢である「火災第4出場」の指令となった。
ポンプ車など138台、当時所有していた化学消防車22台全て、海側からは消防艇7隻など、東京消防庁始まって以来の大規模な消防体勢を投入して消火活動に当たった。


【経緯】
7月10日:
大井消防署の査察で、危険物貯蔵許可を受けていた103号倉庫と105号倉庫以外に、大量に野積みされていた違反貯蔵危険物(硝化綿)が発見され、口頭での注意を受けていた。(ニトロセルロースの200kg入りドラム缶100本)

7月14日:
この倉庫会社は4日前の査察後にも保管量を増やしており、火災当時は1,000本を超えるドラム缶が置かれていた。
また、この日は快晴・高温(最高気温32.5℃)でもあった。

7月14日21時56〜57分:
ドラム缶内部のニトロセルロース(硝化綿)の温度が異常上昇、ドラム缶の蓋が吹き飛び硝化綿が放出され爆発的に燃焼。 大量のドラム缶が次々に発火、爆発、飛散していった。(8号倉庫は延焼、そこから飛来したドラム缶が103号倉庫の屋根を突き破ってさらに延焼を繰り返した)

7月14日22時55分:
火は、(消防法による)危険物貯蔵所ではなかった12番(旧10号)倉庫に延焼。
危険物と知りながら保管料を取って貯蔵していたプラスチック硬化剤のメチルエチルケトンパーオキサイド(商品名パーメックN)が突然爆轟。延焼防止の態勢が整い始めた時、この12番倉庫の予期しなかった爆発により、 消火活動中の消防署員18人・団員1人が爆風と倒壊建物の下敷きになって死亡した。(倉庫守衛から、 12番(旧10番)倉庫は雑品と缶詰との情報を得て、消火活動に当たっていたが、実際に保管されていたのは、「パーメックN」だった)

7月15日1時38分:
火は、消防署員18人・消防団員1人の死亡と、道路を挟んだ現場指揮本部も吹き飛ばし、指揮を執っていた蒲田消防署長ほか、100名以上の消防隊員、消防団員12人・取材記者3人・一般人22人の重軽傷者を出して鎮火した。
同倉庫は20棟のうち10棟、7,500平方メートルが全焼。なお、この火災で消火に当たっていた消防隊員には、大量のニトロセルロースが保管されていることを知らされていなかった。


【ニトロセルロース 】
硝酸繊維素、硝化綿ともいい、セルロースを硝酸と硫酸との混酸で処理して得られるセルロースの硝酸エステル。
白色または淡黄色の綿状物質で着火すると激しく燃焼する。
1964年の東京オリンピックを控えた当時、塗料の原料としての需要が高まっていた。


【発火の原因】
ニトロセルロースの保管においては、摩擦を防ぐためアルコールなどで湿潤させる必要がある。
火災発生の数日前、サンプル作成のためにドラム缶の内容物の一部を取り出しているが、その際の再密封が不完全で湿潤させていたアルコールが気化し、ニトロセルロースが乾燥したことが原因とも推定されている。


【倉庫守衛長】
7月20日夕方、同倉庫の守衛長・大橋富士郎氏(68歳)が川崎市の自宅で首に包丁を刺して自殺しているのが発見された。
大橋氏は元海軍軍人で、1918年に海軍兵学校を卒業後、航空畑を歩み、千歳海軍航空隊司令、鹿島海軍航空隊司令、第552海軍航空隊司令などを歴任。最終階級は海軍少将。
この倉庫会社には1950年に守衛として入社、その後守衛長に昇進していた。なお、大橋氏は、本件に関し直接責任を負う立場ではなかった。

元海軍少将が守衛として再就職・・
戦後は旧軍人に対する風当たりも強く、高級軍人の多くが敗軍の将として自ら語ることを「善し」としなかったとも云う。













写真は、2015年7月15日 午前3時45分。鎮火から51年と約2時間後の現場。

写真右側のトラックが止まっている場所に大きな倉庫があり、そこが現場であったと思われる。
しかし、googleマップでは、その会社名が記されているのだが、現場ではその会社名を見つけることができなかった。
倉庫の建屋にも違う会社名が大きく記されている。


調べてみると、この会社の勝島3区一般倉庫と勝島ABC棟倉庫(現場)は、2013年06月11日に東京都競馬への売却が報道されていた。

この倉庫会社は存続しているようだが、ウェブサイトも2013年7月31日に閉鎖されていた。


「台場から望む品川方面夕景」の動画(スライドショー)をYoutubeにアップしました。
https://youtu.be/hp8Vuvm8Ze8

アルバム: 公開

タグ: 300

お気に入り (1)

1人がお気に入りに入れています

コメント (2)

  • きしめん 百八

    う〜ん、何の日かな〜?

    フランス国歌のラ・マルセイエーズとかけまして
    チョコで形作った戦車や大砲と解きます

    ココロは…よく見ると、ぶきみなかし(不気味な歌詞、武器みな菓子)です。

    2015年7月15日 07:40 きしめん 百八 (5)

  • 熊野牟 秀太

    >きしめん百八さん

    この写真から、この出来事を想像するのは難しいですよね。
    現在も東京オリンピック前ですが、何かと騒がしい問題が発生していますね。

    2015年7月15日 19:08 熊野牟 秀太 (16)

コメントするにはログインが必要です。フォト蔵に会員登録(無料)するとコメントできます。