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松岡外相を更迭。第3次近衛内閣成立 1941年7月18日

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Photos: 松岡外相を更迭。第3次近衛内閣成立 1941年7月18日

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【国際連盟の脱退と松岡洋右】
1931(昭和6)年:
9月18日、満州事変が勃発。
中国東北部の鉄道爆破事件をきっかけに日本軍が軍事行動を開始。中国東北部の大半を占領する。

1932(昭和7)年:
3月、日本軍は、清朝最後の皇帝溥儀を皇帝に加え、満州国建国を宣言させる。
しかし国際連盟は、現地へリットン調査団を派遣。9月、その報告書(対日勧告案)が提出された。

11月、満州国建国を認めるか否かをめぐり、スイス、ジュネーブで国際連盟の臨時総会が開かれ、松岡洋右(代議士)が日本代表の主席全権に任命された。松岡の類まれな英語での弁舌を期待されての人選だった。
調査団の報告書は「9月18日以前への原状復帰は現実にそぐわないという認識と、満州の自治、日本権益の有効性」を認めながらも、「満州を国際管理下に置く事」が提案され、満州を「満州国」として認めない内容だった。また、本会議においても日本は批難を浴び、満州国建国は認められないという意見が相次いだ。
松岡は得意の英語で反論。これは「日露戦争での10万の英霊の犠牲と、満州事変で確保したものである」との日本の立場を訴えた。
この時、日本政府から出された指示「もし、満州国建国が認められなければ、国際連盟からの脱退もやむなし」に対して、松岡は「脱退のやむなきにいたるが如きは、遺憾ながら、あえてこれをとらず」と電報を送り返す。つまり松岡自身は、あくまで国際連盟に残るべきと考え、連盟総会に臨んだいた。

国際連盟の臨時総会で、松岡は1時間20分にわたる原稿なしの大演説を行っている。
『欧米諸国は20世紀の日本を十字架上に磔刑に処しようとしているが、イエスが後世においてようやく理解された如く、日本の正当性は必ず後に明らかになるだろう』という主旨のもの。「十字架上の日本」と題されたこの演説は日本国内および、国連の会議場においても絶賛の拍手が渦巻いた。それは演説の内容もさることながら、松岡の英語能力に驚嘆したものでもあった。
ただし、この演説が満州をめぐる日本の立場を有利にすることにはならなかった。

1933(昭和8)年:
2月21日、日本政府は、「リットン報告書(対日勧告案)」が連盟総会で採択された場合は代表を引き揚げることを決定。

2月24日、満州における中国の主権を認め、日本の占領を不当とする決議案は、賛成42票、反対1票(日本)、棄権1票(タイ)の圧倒的多数で可決・採択された。
可決の直後、松岡は演壇に登り『この会議で採択された勧告を、日本が受け入れることは不可能である』と発言し、議場を退場する。

3月8日、日本政府は脱退を決定(同27日国際連盟に通告)。

交渉に失敗し、失意の中に帰国した松岡だったが、新聞は、次のように報じた。
「松岡の姿は、凱旋将軍のようだった。わが国は始めて、[我は我なり]という独自の外交を打ち立てるに至ったのだ」。
この時、松岡は一躍国民的英雄となっていた。


【議員辞職】
帰国後の松岡は「国民精神作興、昭和維新」などを唱え、1933年12月には政友会を離党、「政党解消連盟」を結成し議員を辞職。1935年8月、再び満鉄にもどり総裁として着任した。


【第2次近衛内閣、外務大臣に就任】
1940(昭和15)年7月22日、米内内閣のあとを受け、第2次近衛文麿が発足。
近衛は、この内閣の外務大臣として松岡を指名した。それは、軍部に人気のある松岡を外務大臣に置くことで、また彼の強い性格が軍部を押さえるであろうという近衛の目算でもあった。
外相就任が内定した松岡は「私が外相を引き受ける以上、軍人などに外交に口出しはさせません」と、大見得も切っている。


【第2次近衛内閣】
組閣直後の1940(昭和15)年7月26日、「大東亜新秩序建設」(大東亜共栄圏)を国是とし、国防国家の完成を目指すことなどを決めた「基本国策要綱」を閣議決定。
同年9月27日、日独伊三国軍事同盟を締結し、10月12日には新体制運動の指導的組織となる大政翼賛会を結成。

1941(昭和16)年4月13日日ソ中立条約を締結した。

しかし、同年7月16日、松岡外相を外すことを目的とした内閣改造を断行するため、第2次近衛内閣は総辞職をすることになる。(後述)


【外務大臣としての松岡洋右】
当時の大きな外交問題は、泥沼となっていた日中戦争と険悪となっていた日米関係。
そして陸軍が主張していたドイツ・イタリアとの三国同盟案だった。松岡は太平洋を挟んだ二大国が固く手を握って、世界の平和を確立すべきと唱えていた。さらに「これまで敵対してきたソ連をも三国同盟に組み込みたい。ドイツとソ連はすでに不可侵条約を締結済み。日本が、さらにソ連と協定を結べば、この4国を相手にアメリカも手出しができないはず。」これが、松岡の思惑だった。


【「三国同盟」「日ソ中立条約」の締結と、日米関係の悪化】
1940(昭和15)年:
9月19日、宮中で行われた「三国同盟締結」についての御前会議。松岡の推進する日独伊三国同盟案は了承された。
しかし三国同盟に対しては、アメリカが厳しい経済制裁で日本に答えた。ルーズベルト大統領は、鉄鋼やくず鉄など、日本にとって欠かせない原材料の輸出を禁止。日本とアメリカの対立は、決定的なものになった。

1941年3月26日、松岡は、ヒトラーを訪問し、「日本とソ連との仲立ちをドイツが努める」という約束の実行を迫ったが、なぜかドイツは交渉の仲介を拒絶。(これは、ソビエトが四国連合参加の条件として多数の領土要求をドイツに出した事でドイツの怒りを買い、ヒトラーはソ連への攻撃を決意。ひそかにその準備をすすめていた為)

1941年4月7日、松岡はソ連を味方に引き入れるためモスクワに乗り込んで、友好的な条約を結ぶための交渉を始める。
4月13日、「日ソ中立条約」が締結。日独伊三国同盟にソ連を協力させる松岡の構想は、大きな前進を遂げたかに見えたのだが・・・・
その2ヵ月後、ドイツは突如ソ連に進攻を開始した。
松岡は政府内での信望を失った。

松岡は締結したばかりの日ソ中立条約を破棄して対ソ宣戦し、ソビエトをドイツとともに挟撃することを閣内で主張。南部仏印進駐に関しては閣内で強硬に反対、いわゆる北進論を主張した。しかし政府首脳や世論は、北進論に関しては全体的に消極的で、独ソ戦によってソビエトの脅威が消滅したことで、南方に戦力を集中して進出すべきとする南進論が優勢になった。

この頃の松岡は、そのあまりの独断専行ぶりから、かつては協力関係にあった陸軍とも対立するようになり、7月16日、近衛内閣はアメリカに対し強硬姿勢をとりつづける松岡外務大臣を除くため、一端内閣を総辞職する。


【第3次近衛内閣】
第2次近衛内閣では、閣内にあって暴走状態にあった松岡洋右外相の更迭は政権存続のための急務となった。
昭和天皇までもが松岡の解任を主張するようになり、近衛首相は松岡に外相辞任を迫ったが、松岡はこれを拒否。この事態に、近衛は一計を案じて全閣僚から辞表を取り付けると、参内していったん内閣総辞職の形式を取った。また、その場であらためて大命降下を受け、7月18日、松岡の後任に豊田貞次郎(予備役海軍大将)を据えた内閣を組閣(第3次近衛内閣)、事実上の内閣改造を行った。

この、事実上の松岡更迭によって南部仏印進駐は実行されることとなり、アメリカ・イギリスとの対立はよりいっそう深まっていくことになる。

11月26日、アメリカは日本に対して「中国からの全面撤退や三国同盟の否認など」を要求。日米両国の妥協は絶望的となった。


【太平洋戦争】
1941年12月8日:
太平洋上の空母からとびたった日本軍攻撃隊は、ハワイ真珠湾を急襲、アメリカとの戦争が始まった。
その日、開戦を知った松岡は、友人にこう語ったという。
『三国同盟の締結は、僕一生の不覚だったことを、いまさらながら痛感する。これを思うと、死んでも死にきれない』と。

日本本土は、激しい空襲にさらされた。
ヨーロッパでも、ドイツ、イタリヤは敗北を続け、1943年にイタリヤが降伏。
1945年5月には、ドイツが降伏。

同年8月8日、ソ連は、まだ有効期限のあった日ソ中立条約を無視して日本に宣戦布告。満州や朝鮮半島に侵入した。


【A級戦犯被告】
松岡は、敗戦後A級戦犯容疑者として、GHQ命令により逮捕された。
連盟脱退、三国同盟の主導、対ソビエト戦争の主張などから、死刑判決は免れないとの予想の中、松岡は巣鴨プリズンに向かう。
しかし、結核悪化のため極東国際軍事裁判公判法廷には一度のみの出席となった。

1946(昭和21)年6月27日、駐留アメリカ軍病院から転院を許された東大病院で病死。享年66。

辞世の句は「悔いもなく 怨みもなくて 行く黄泉(よみじ)」。












写真は、巣鴨プリズン跡地に建てられた「サンシャイン60」。
この建物を見ると、戦後アメリカによって「A級戦犯」という「レッテル」を貼られた人も含む、28名の名前と顔を思い出す。

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