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造船疑惑に対し指揮権発動 1954年4月21日

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写真: 造船疑惑に対し指揮権発動 1954年4月21日

写真: 道の駅 全国103箇所で登録 1993年4月22日 写真: 文京区小2女児殺害事件 1954年4月19日

【造船疑獄】
第二次世界大戦後、計画造船における利子軽減のための「外航船建造利子補給法」制定請願を
めぐる贈収賄事件。政界・財界・官僚の被疑者多数が逮捕された。
また検察庁は1954年4月20日、佐藤栄作(当時与党自由党幹事長)逮捕(収賄容疑)の方針を
示する。
これに対し4月21日、犬養健法務大臣は自身の辞任と引き換えに、重要法案(防衛庁設置法案
と自衛隊法案)の審議中を理由とした検察庁法第14条による指揮権を発動。佐藤藤佐検事総長
に、佐藤栄作幹事長の逮捕中止と任意捜査を指示した。

4月30日、参議院本会議で指揮権発動に関する内閣警告決議が可決、衆議院では9月6日に証人
喚問が行われ、佐藤検事総長は「指揮権発動で捜査に支障が出た」と証言。
衆議院は吉田首相の証人喚問議決をするが、吉田は病気を理由に拒否。その後、衆議院は拒否
事由が不十分として議院証言法違反で吉田首相を告発するが、不起訴処分となった。

逮捕者は71名、起訴された主要な被告のうち7名が無罪、14名が執行猶予付きの有罪判決。
佐藤栄作は、後に政治資金規正法違反で在宅起訴されたが、国連加盟恩赦で免訴となる。

この事件は、当時の吉田茂内閣が倒れる発端となった事件のひとつにもなった。


【事件の経緯】
昭和29年1月、山下汽船社長と重役、日本海運社長が贈収賄容疑で逮捕された事に始まる。
事件は、ある人物Mが国鉄関連会社社長のIに保管株券を搾取されたと、東京地検に告訴し
たことから発覚した。
Iは、山下汽船、日本海運、日本通運などから金を借り焦付かせていたが、この金はそれぞ
れの会社の重役たちが、会社に内緒でIに貸出し、利やざを稼ぐ背任行為による金であった。

Mは告訴に際して、Mメモなるものを提出した。その中に「外航船建造利子補給法成立の前後、
政官界の要人が業界幹部と赤坂の料亭で会っていた事実がある」との記述があり、東京地検
が動くことになる。

逮捕された山下汽船社長以下の家宅捜索を行うと、30数人の政界人と赤坂で会食や、金銭を
贈っていたことが書かれたメモが発見される。
このメモには、政界献金の一覧表と、リベートの内容が記されていた。その内容は、建造船
価の3〜5%が造船所から船会社に払い戻され、さらにそのリベートから政界に献金したとい
うもので、税金を食いものにした汚職事件の構造が書かれていた。

当時の海運界および造船界は、戦争の影響で激減状況にあり、これをなんとか復興させる為、
海運界の要望に応えて、「外航船舶建造融資利子補給及び損失補償法」が成立した。
しかし、この成立に際し、政界の要職にある面々に頼み込んだ見返りに多額の贈収賄が行わ
れていた。贈った側は船主協会、造船工業会およびタンカー協会であった。

捜査は山下汽船社長のメモより、芋蔓式に、まず海運協会と造船工業会に手が入る。
政界では自由党有田二郎の逮捕、関谷、岡田代議士の逮捕、そして佐藤栄作幹事長、池田隼人
政調会長の取調べまで発展した。
特に、佐藤幹事長は選挙を控え、政治献金を船主、造船工業会に依頼、帳簿に載せず届けもし
てないものもあり、明らかに政治資金規則法違反に問われても仕方がない状況だった。
そして、自由党の会計責任者は逮捕をされている。


【指揮権発動の是非】
『起訴する権限を独占している検察官を、選挙による民主主義を基盤とする内閣の一員である
法務大臣がチェックする仕組み』が本来の指揮権と考えられていたが、この事件では、一部の
政治家を救うための手段に利用されたことで、制度の政治的正当性が完全に失われてしまい、
日本の民主主義にとって手痛い失敗になったとする意見もある。
逮捕こそ免れたが、後の総理大臣に逮捕状が出された事で政界が検察に党派介入した事件とし
て敗戦後の日本政治史の一大汚点とも考えられた。

現在まで、指揮権が発動されたと公に認識されているのは、この一例しかない。

一方で、検察内部で証拠の評価などを巡って捜査方針の対立があり、強行に捜査を進めていた
特捜部の方針を危惧した検察幹部が、政界に対し指揮権発動による強制捜査を中止を内々に持
ちかけたことが、後に明らかになっている。
これは造船業界から自由党へ金が渡っていたのは間違いないが、斡旋収賄の証拠が無く、
検察の捜査は行き詰っていた。政治献金があった事実しか出てきておらず、贈収賄の立件は難
しい状況にあったが、捜査主任の検事が強引に捜査を進め、マスコミがそれを煽っていた状況
であったとも云われている。


【その他】
〇佐藤栄作日記によると、佐藤は当初、指揮権発動を中々行わない犬養法相を罷免にして、
  新法相に指揮権発動させるよう吉田首相に要求していたという。

〇犬養法相は下記の、ペン書き、捺印したものを残して辞職している。

 「佐藤栄作の逮捕請求許可の請訓については、事件の法律的性格と
   重要法案の審議に鑑みて、別途指示するまで暫時逮捕を延期して、
    任意捜査すべし。この指示は検察庁法第十四条に基づくものである」

〇後に犬養は、ある雑誌に「指揮権発動により法務・検察幹部を軒並み引責辞任させ、
  意中の男を検事総長に据えようという某政治家と検察幹部の思惑があった」
   とする手記を寄せている。

〇この指揮権発動とは、本来検察が当然の捜査を行わなければいけない事件に対して、
  捜査を怠っているときに、それを捜査すべしというのが本来の主旨であるが、この事件
  では、それを逆手にとって発動された。

〇この事件では、運輸省海運局課長補佐が飛び降り自殺、石川島重厚取締役が自宅で首を吊
  っている。

〇もう一つの疑獄である昭電疑獄はGHQの民生局と参謀第二部の対立、縄張り争いによって
  計画的に参謀第二部が暴き立てた事件とされているが、この造船疑獄は、全くの偶然か
  ら発覚した事件だった。

昭電疑獄
http://photozou.jp/photo/show/2506004/215518690






写真は、青島のレストラン街。

関東には横浜、山下公園近くに中華街がある。
日本人から見れば、これが本場の中国なのだろうなと思わせるのだが、
当の中国人から見れば、それは全く違うらしい。

氷川丸の停泊する山下公園は、山下汽船の創業者である山下亀三郎氏と、関係があるとか
ないとか・・・調べてみたが真相はよくわからなかった。

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