古 大師道・熊谷堤跡(足立区)墨堤通り (1)左右とも前方 元宿堀跡
mixiアルバム「大師道・熊谷堤(足立区・墨堤通)」コピペ
https://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=500000087224097&owner_id=32815602
2013年10月22日 22:28
●熊谷堤跡――
天正2(1574)年、北条氏政は、荒れ狂う大川の左岸を現 向島・浅草まで(隅田堤)自然堤防に手を加えて土手を築いた。
これが熊谷堤。熊谷から千住までを言い、荒川堤とも言う。太田道灌によって完成していたという説もある。
・熊谷堤跡の道は大師道とも呼ばれる。西新井の御大師さんへの道筋。
・昭和5年に荒川放水路(赤羽岩淵から江戸川区葛西)完成。
※おまけ――
この長大な土手を利用して、江戸の水害を軽減しようと画策したのが2代秀忠。今戸から箕輪(三ノ輪)に向けて全長860m、全高3m、土手上道幅7.2mの普請を諸藩に命じ、そうして築堤されたのが日本堤。この名前は近代に訛っていると思われ、由来は不詳。現 山谷堀(さんやぼり)公園から土手通りにあたる。
→ http://photo.mixi.jp/view_photo.pl?photo_id=2007857032&owner_id=32815602
→ http://photo.mixi.jp/view_photo.pl?photo_id=2007857045&owner_id=32815602
こうして“江戸の町”は水害から守られるようになった。
想像に難くありませんね。荒れる大川、暴れ川。大雨、増水、激流………荒川の及ぼす水害が江戸城北・荒川上流へ偏らされたらどうなるか。
※「越谷3/旧日光道・御殿・宿場・伝馬制度/」より抜粋――
“荒川”は、江戸時代初期以前は現在の元荒川の川筋を通っていた。つまり、関東平野に出たのち東へ下り、武蔵国・下総国境付近(現越谷市・吉川市周辺)で南流していた利根川と合流、そこから合流と分流を繰り返しながら江戸湾に注ぐ川だった。
「荒」という名の通りの暴れ川で、しばしば川筋を変え、下流域の開発も遅れていた。本流が“今の”綾瀬川を流れていた時代もあるが、戦国時代に水路が掘られて東の星川に繋がれ、綾瀬川と分流した。現 荒川は元入間川。
元荒川は埼玉県を流れる利根川水系で中川支流の一級河川で、荒川と利根川が合流していた時代の荒川の本流。
1629年、荒川が和田吉野川、市野川を経由し、入間川に付けかえられた為、本流から切り離された。
熊谷市佐谷田の荒川東岸付近の湧水に源を発する。
洪水、浸水被害が、武蔵の野辺の家畜や農作物を悉くダメにしていたせいである…。治水は成功したかに見えるが……。
Albums: 東京都5足立区/武州
Favorite (0)
No one has added this photo to his favorite.
Comments (1)
-

大師道は仲宿スタート(日光道中 河原町から分岐)
上記記事も──10-18-2025 15:41 晴耕雨読 @黄昏の番犬 (0)
To make comments on artworks, click Login. User registration here.




