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【11】君よ八月に熱くなれ〜撮り鉄たちの「甲子園」〜

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Photos: 【11】君よ八月に熱くなれ〜撮り鉄たちの「甲子園」〜

Photos: 【10】夏の朝練・ボンネット「びわこライナー」。 Photos: 【12】さようなら、関西線103系。

はや2016年も8月に入りました。
夏真っ盛りの風物詩といえばやはり甲子園の高校野球選手権大会。
いつの間にか高校球児たちの倍以上の年齢を重ねてしまった上に野球に関しては全くの素人の自分ですが、大人顔負けの堂々たるプレー、爽やかなその姿は毎年TVや球場で観戦するたびに時代を越えて感動を新たにします。

さて、今はもうほとんど設定されることもなくなりましたが、この夏の甲子園それから春の選抜と二つの高校野球選手権大会の応援団の足として、全国各地から団体列車が数多く設定されていた時代がありました。
鉄ちゃん業界で俗に言う「甲子園臨」です。
現在ほど新幹線、高速道路網そして航空路線も充実していなかった今から20年以上前、地方からの応援団の多くはこうした団体列車で続々と大阪・新大阪駅に到着し甲子園球場へ向かっていました。
我々鉄ちゃんにとっては野球の聖地「甲子園球場」に負けず劣らず熱闘を繰り広げていたのがこれら「甲子園臨」。
この一連の団体列車は普段近畿圏で見る機会の少ない「ご当地車両」が撮影出来るチャンスでした。
大体の応援団はラッシュを避け前日夜に地元を出発し夜行運転で早朝に大阪入りするように設定されていましたが、問題は復路。
試合終了時間は当然ながらまちまちで、それに合わせて甲子園からの引き上げ時刻も異なり、そしてそこから余裕を持たせた発車時刻…試合結果によっては夕ラッシュ時にかぶり撮影が困難な上に往路ほどスジが特定できず発車番線すら分からない始末。
もちろん、携帯電話もインターネットも普及にはまだまだ程遠かった時代ですから、頼れるのはポケットに忍ばせた携帯ラジオと自分の勘。
ヤマ勘で夜の大阪駅ホーム端で待ち構えて、予想通りの番線にお目当ての甲子園臨が入線してきた時は心の中で何度ホームラン級のガッツポーズをしたことでしょう。
そんなわけで地元近畿勢よりも列車で仕立てて来る地方の高校を自然と応援しておりました。
勝ち続けてまた列車で甲子園入りしてくれることをいつも願っていましたが鉄ちゃん連中の期待とは裏腹に惜敗し大阪駅を後にする復路の列車撮影はこちらまで悔しく思ってしまったものです。
なお使用車両は各方面の波動用車両が多く、概ね以下のような傾向がありました。
九州方面…主に熊本所属の14系寝台車や12系座席客車と臨時ブルートレインのような出で立ちが多くどちらかと言えば国鉄時代とあまり変わらぬ「団臨」スタイルでしたが、90年代になると九州内のみ在来線団臨、新幹線乗継ぎが多くなり直通甲子園臨は少なくなっていました。
四国方面…明石海峡大橋開業以来徐々にバスで直接甲子園入りする学校が増えてきていたものの一部は四国色のディーゼルカーで大阪に現れたり、果てはJR西日本・米子支社の国鉄色キハ181系を借りてきたりするケースも。
山陰地方…特急車両はあまり用いられず急行型キハ58系を連ねたシブい姿の長編成で大阪入り。
近畿地方…あまり実績は多くない地元ですが、滋賀県勢の一部は117系を2編成併結で現れたりした事もありました。近江高校は117系福知山色に堂々オリジナルヘッドマーク掲出に留まらずキハ58系の8〜10両で2本続行運転するなどド迫力でした。
北陸・羽越・東北方面の日本海縦貫線…485系、583系を基本に時折ブルートレイン客車が真っ赤なJR東日本のEF81型電気機関車に牽かれて現れます。485系に関しては地域色の編成もありその点でも楽しみでした。こちらは常連の強豪校については自校オリジナルのヘッドマークを用意している学校が多く、中でも「ゴジラ」松井秀喜を輩出した石川県星稜高校に至っては機関車用のみならず485系ボンネット用の「星☆稜号」ヘッドマークも用意されていました。
関東・甲信越方面…直流急行型165・167・169系を長らく使用していましたが'90年代に入ると急行型車両は老朽化で徐々に淘汰され国鉄特急車の183・189系の出番が徐々に増えてきていました。
今回ご紹介するのもそんな長野からの大応援団、「あずさ」カラーのパープルブルーに身を包んだ183系の堂々10両編成です。
まずもって関西では見ることがほとんど不可能な「あずさ」「あさま」色の車両がこの時だけは専用ステッカーのヘッドマークを掲出して現れるのですから撮る側も気合が入らないわけはありません。
撮影は1999年、この年の夏の長野県代表は強豪松商高校。この松商と同じく長野県の佐久長聖は183・189系列の常連でもあり、確かこの列車は1回戦の応援で早朝大阪入りしていたとおぼろげながら覚えています。
爽やかな青空ですがこの後の球児たちの熱闘を予感させる暑い暑い夏の朝、撮り鉄たちの心も熱く燃えていたのです。
こうした「甲子園臨」が設定出来たのも運転士のハンドル訓練を必要としない全国共通の国鉄型車両がまだまだ各地に多く在籍していたからこそのことだったのでしょう。しかしながら夏の甲子園の時期はお盆の増発期間と重なり、試合日程によっては流動的な「甲子園臨」のために車両を確保せねばならず、現場の方々は大変なご苦労があったことと推察されます。
その後他の交通機関が発達してきたこともありますが、そうでない方面からの設定も少なくなったのは国鉄型車両の減少も一因だと思います。
ともあれ様々な車両が早朝の集中した時間に続々現れるのですからいい時代でした。

数年前、一部北東北の高校が細々と秋田所属の583系で来阪したのを最後に今年は設定の気配すらない「甲子園臨」。今の私は想い出のフィルムを眺めつつ、鉄道抜きで本来の甲子園で繰り広げられる球児たちの素晴らしいプレーに胸躍らせています。

DATA:ASA200(+1),70-210mm,1/500,F=5.6

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