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金属回収の強制譲渡命令を発動 1942年5月12日

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Photos: 金属回収の強制譲渡命令を発動 1942年5月12日

Photos: ファティマで3人の子供の前に聖母が出現 1917年5月13日 Photos: 『ジーパンの女の子は出て行け』 1977年5月11日

【金属類回収令】
昭和16(1941年)に公布(昭和16年8月30日勅令第835号)

日中戦争から太平洋戦争にかけて戦局の悪化と物資(武器生産に必要な金属資源)の不足を補うため、官民所有の金属類回収を行う目的で制定された日本の勅令。


昭和17(1942)年には、回収令による強制譲渡命令が発動され、寺院の仏具・鐘楼・梵鐘までをも供することになった。


『政府は昨年八月金属類回収令を公布し民間に保有する鉄製品、銅製品の特別回収を断行
 したが、大東亜戦の勃発とともに軍備の充実、造船の促進など当面の緊急需要に対処すべ
 く十七年度においては金属特別回収を一段と強化することとなり、八日の閣議において閣
 令「回収物件の譲渡申込期間指定に関する件」を決定、九日公布、十二日実施する。
 閣令は金属類回収令第六条に規定せる強制譲渡命令を発動したものであり、昨年九月一日
 公布、実施された金属類回収令施行規則(商工省令)回収物件及び施設指定規則による指定
 施設における指定物件にして、回収の対象となるものはことどとく六月十日までに回収機
 関たる日本鉄屑統制会社、日本故銅統制会社を代行する各府県の金属回収事務所に譲渡申
 込書を提出せねばならぬこととなった』    大阪朝日新聞 1942(昭和17年)5月9日









写真は、浅草観光人力車からの光景。
約30分ほど、甥っ子と二人で乗った人力車で浅草の街中を走ってもらった。

道中、様々な観光案内をしてもらっていたが、途中、車夫のお兄さんから『お客さん、3時のおやつは、何故「おやつ」というか知っていますか?』と訊かれた。

『いや、知らない』


すると、車夫のお兄さんは「それは、こんな理由なんですよ」と、教えてくれた。

昔は一日24時間を12等分に分けていた。そうすると、現在の午後2時から午後4時の間は八つ目の区切りとなるので、江戸時代には「八つ時(やつどき)」と言っていた。
そして午後の4時には江戸一帯で、どこからともなく鐘を八つ鳴らす音が聞こえてくる。
もちろん、この浅草周辺にも。

江戸時代、農民や大工などの身体を酷使する人たちは、体力維持のために休憩のときに間食を取る習慣があり、それを八つ時に食べていたことから「八つ(やつ)」に丁寧語の「お」をつけて「おやつ」と呼ぶようになったのが、その由来だと。

明治時代には、現在の24時間制が導入され、2時間の幅では広くて中途半端だったため、その中間の午後3時が「おやつ」の時間になったとのこと。



しかし、その鐘の音も、太平洋戦争が激しくなるとともに、
                やがて聞こえなくなってしまったと・・・・


「浅草人力車」の動画(スライドショー)をYoutubeにアップしました。
https://www.youtube.com/watch?v=7Vi_EzWNy9k

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