私の作曲した宮沢賢治原作の“どんぐりと山猫”を先日、東京の目黒区内の小学校で演奏してきました。
語り手が物語を読み、絵本や紙芝居の代わりに音楽を付けているのです。
普通の朗読では無く、場所によってはラップの様に言葉のリズムと音楽がシンクロしていたりもします。
この日の他の写真は、主宰する山猫合奏団のページに貼り付けました。
http://photozou.jp/photo/list/2999744/8192793
この写真は、譜面の所を見る限り、まだ“どんぐりと山猫”ではなく、その前に演奏した、草野心平の詩にやはり僕が音楽を着けた「河童と蛙」の準備をしているところだと思います。
歌も好きだし、素の朗読も好きですが、その中間、リズムを音楽に取り込んで歌う手前の言葉のリズムだけで聴かせる、、これは未だジャンルが良く解りませんが、そこに興味を覚えるのです。
そう、敢えて無理矢理言うなら、ピアノ義太夫かな、、(爆)
そうそう、こういうジャンルの新作を3/28にやはり都内で初演致します。
詳細は、
http://juninho.blog16.fc2.com/blog-entry-4649.html
にて。
アルバム: 自分の演奏姿
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コメント (4)
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おふたりとも、とても良い表情をしておられますね。
2014年3月15日 07:41 柳島蒼機(心臓リハビリ中) (18)
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即興演奏のようで競演者とのインタープレーが楽しそうです。
2014年3月15日 09:04 chao (71)
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あいあいさん、まあ僕のやる音楽の路線の中には凄く深刻な顔をして弾きたくなるレパートリーもありますが、僕が作曲したものは、どなたにも馴染みが無いし、やってて楽しい事を共有して貰いたいので自然とこうなるのですね。
あと、彼とはもう35年以上の共演をしてきた時間というのがあるので、継続は微笑みの余裕をもてるのかもしれません。
学生時代にはこんな笑顔を見せていたかどうかは疑問ですから(爆)2014年3月15日 10:01 白石准 (40)
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chaoさん、そうですね、確かに譜面にはきちんと書いてある音楽を作曲していますが、35年もやっていると、その度にいつもと違う事もやりたくなるわけで、そうなると、譜面に書いてあることは最小限、やりつつも、それ以外の事はより、無法地帯になるものです。
これは他の譜面に書かれている音楽でも言えるのですが、ただ弾くだけでせいいっぱいの段階を超えないと本当の自由は獲得できませんね。
そのためには練習と沢山の本番の経験値が必要です。
たまに彼以外の殆ど初共演みたいな役者とこの作品をやると、あたりまえのことがあたりまえでなくなるので、ずれずに通過することに綱渡りの様な事が起きます。
私は朗読が初見で出来る様な雰囲気が嫌いなのです。
音符の制約に縛られながら、普通に読んでいる様に聞こえてこそ、シンクロの技をかんじられるのであって、その先にインタープレイと呼ばれる即興性が出てくるのだとおもいますね。
中には自分の作品だからどんな改変も自由だと思って悪のりで失敗したことも何度もあります。
やはり決めごとの先に完全なRelaxと自由があるものですね。2014年3月15日 10:09 白石准 (40)
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