昭和の東京俯瞰図1
ALWAYS 三丁目の夕日の撮影で使ったディオラマだそうです。
映画にも出てきた、オート三輪、子供の頃の引っ越しで活躍してた記憶があります。
別ショットは
http://photozou.jp/photo/show/1934405/184741618
にあります。
アルバム: Diorama
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コメント (10)
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懐かしい風景ですね。
2013年8月13日 16:22 sugi999 (5)
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おもちゃの町みたいだと思ったら、ジオラマなんですね^^
家の向きが、バラバラだったのですね^^;2013年8月13日 16:37 cobuchan(リハビリ散歩中) (19)
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凄いですね!(^0^\)
2013年8月13日 19:00 sony (40)
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鈴木オートがありますね。町割りがめちゃくちゃで好きかってに家を建ててますね。戦後でしょうか^^;
2013年8月13日 21:51 てげちち(長期貼り逃げ中<(_ _)>) (19)
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すぎさん、この頃の子供たちは、ゲームもなかったわけでみんなで身体を使って遊ぶことが「遊ぶ」という意味でしたよね。
ランニングを着てたなあ。最近は着た試しがない(爆)2013年8月14日 07:28 白石准 (40)
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cobuchanさん、そうなんですここは、あの東京タワーの根元のショッピングのコーナーの一角にありました。
そのジオラマで、かつジオラマ風に写るモードで上下がピンボケになるように撮っています。
名古屋や大阪の中心部の様に太い道があって、碁盤の目になってなくてお家の向きが好き勝手になっていますが、東京大空襲に遭ってしまった地域は戦後の復興で「道を先に作って家を建てた」という京都みたいな並びになっているところはありますが、そうでない下町はこの様な場所がまだありますよ。
東京の墨田区、両国国技館や隣の錦糸町の駅の周りは、結構道が規則的になっていますが、それは前者の経過があったからだと思います。
ところが、隅田川のちょっと上流の「向島」という芸者さん達とか居るような地域は、これに似た様な、くねくねした路地の周りに沢山お家が密集しているところがあります。
一度その界隈の小学校に弾きに行きましたが、もう遠くから校舎は目に入っているのにどこの道を曲がればたどり着けるのか判らず、付近をむなしく車で三周くらいしたことがあります。
絶対に消防車とか入って来られなさそうな細い路地とかあって、これは本当に昔から何も変わってないし、次に大震災が東京で起きたら大変な事になるのでは、と思いました。2013年8月14日 07:46 白石准 (40)
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sonyさん、如何に「造り物」じゃないように撮るかということには、ほんのちょっとだけですが(周りの人が写らないようにとか)気にして撮りました(爆)
で、ジオラマ効果で造り物っぽくは撮っているわけですから矛盾してますね(爆)2013年8月14日 08:14 白石准 (40)
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てげ父さん、そう、「鈴木オート」は目立ってました(爆)
好き勝手に家が建っている事への僕の想像は、cobuchanさんの所に書いたとおりでございます。
まあ戦後まもなくではなく、このストーリーが60年代ですから、僕がまさに小さな子供だった時代です(1957年生まれですから、まさに「巨人・大鵬・卵焼き」まっただ中のジェネレイションです。)。
ああ、駄菓子屋で買ったメンコとか様々なチープなおもちゃ(投げて飛ばす飛行機やヘリコプターが懐かしい)、銀玉鉄砲で草むらを匍匐前進して撃ち合った思い出と一緒にすり込まれている草いきれ、半ズボンだから、始終雑草で脚に無数の傷を作ってましたね(爆)
夕方は、銭湯に親と行って、帰ってきて、プロレス(翌日学校でジャイアント馬場とザ・デストロイヤーの試合を語った)とキックボクシング(沢村忠さんの「真空跳び膝蹴り」がみんな好きだった)、相撲(もちろん大鵬ですよ、そして千穐楽は今と違って、柏戸との全勝対決に仕切っているときに鳥肌を立てて固唾を飲んだ)、野球中継(東京ですから巨人オンリー(爆))で、夕方側を豆腐屋さんのパオーっていうラッパが聞こえた、、、2013年8月14日 08:21 白石准 (40)
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まさに戦後の昭和を体験されているわけですね。
私はその少しあとって感じですね。沢村忠さんは「キックの鬼」というアニメで見て、まだそのころたまに出ていた沢村忠さんのほんものの「真空とび膝蹴り」が見たくて見たくて、キックボクシングの番組を見せてもらっていたのですが、結局一度も見れず、もしくは、誇張されたアニメと現実の「真空とび膝蹴り」の違いにそれと気づかずに見過ごしてしまったのか。。。という少年時代でした。2013年8月15日 10:52 てげちち(長期貼り逃げ中<(_ _)>) (19)
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てげ父さん、僕は勿論戦争を知りません。
しかし、生まれた1957年というのは、1945年の終戦からそんなに経ってないわけです。
大好きだった鉄人28号のストーリーの中にも戦争の香りがどこか漂っていました。
当時プロレスも、絶対に日本人同士では戦いませんでしたね。
アントニオ猪木とストロング小林が後年(たしか所属会社違ったはず)戦ったときにはゾクゾクしたものです。
シャープ兄弟はさすがに覚えてませんが、力道山やジャイアント馬場が来日する(主に悪役)の外人レスラーをたたきのめすのを見て凄く嬉しかった記憶があります。
で、鉄人28号も悪者は、謎の密輸団の頭から白い円錐形の帽子を被って顔を見せない外人達でした。
そこで、チンピラの鮫島という男が、鉄人のリモコンがそいつらに盗まれてしまった先を知っているのに、警部と正太郎がそれを訊いてもしらばっくれていた時、警部の一言「貴様、それでも日本男児か!」という一言で目が覚めたように白状する、という場面を大人になってアニメをビデオで借りて見直したときに気づき、驚愕しました(爆)
おお、こういうロジック生きてたんだなって。
時代を感じます。(爆)
スーパー・ジェッターで相棒の乗り物流星号を呼ぶのに、腕時計に「流星号応答せよ」と「音声認識」でやっていたのを見て、いま、iPhoneで似た事してるなと感慨深いです。2013年8月15日 11:01 白石准 (40)
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