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猿江稲荷神社(江東区猿江)

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写真: 猿江稲荷神社(江東区猿江)

写真: 猿江稲荷神社(江東区猿江) 写真: 日先神社(江東区猿江)

mixiアルバム「猿江稲荷神社・猿藤太・藤森稲荷神社」コピペ――
https://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=500000062483376&owner_id=32815602
2012年06月14日 23:57

12.06.14.
●猿江神社――
源頼義・義家親子の家臣であった猿藤太が当地で亡くなり、入江だった当地の文字から猿江稲荷と称して、創建したという。
伝承として、「康平年間(1058〜1065)源頼義が奥州征伐(後三年の役)の頃、この附近の入江に勇々しき武士の屍がただよい着き、不思議にも其の屍より毎夜光明を発し村人この屍を丁重に葬る。」
「武士の鎧に源頼義の臣「猿藤太」と記しあり、又懐中よりありがたき経文一巻がいでたり。よって村人「猿藤太」の頭文字と入江の「江」をとりて、猿江稲荷と尊稱し、近郷近在の守護神となし、村落の敬神の地として仰ぎ奉り、豊作祈願、病気平癒、悪病退散、等のこの地の氏神社として祭り、又それより地名をも猿江村と稱えはじめ現在に至れり。正に猿江の地名これより発祥せり。」
源頼義・義家父子による奥州攻めで、数々の武勲を打ち立てた家臣の一人に「猿藤太」(さるのとうた)という武将がいた。武勇の士であったが、この地の入り江で力つきてしまった。これを知った地元の漁師達が手厚く葬り、神社の境内に塚を建てて祀ったところ、豊漁が続き、これにちなみ、猿藤太の「猿」 と、入り江の「江」の字を結び「猿江」の社名となったという(「猿江神社縁起」)。

●藤森稲荷神社――
創立不詳ながら、江戸時代初期には本所横網町の江戸幕府御用材木蔵にすでに祀られていた。
享保19年(1734)御用材木蔵と共に猿江の地(現在の猿江恩賜公園)に遷座された。明治以降は宮内省所管となり、この頃から猿江神社の宮司家により祭祀奉仕がなされている。
亦、社殿が藤の木で囲まれ、毎年花の咲く時期に祭礼が行われていたことから、何時しか藤乃木魂を祀る「藤森神社」と称され、四百年余に亘り木材作業に従事する人々の厚い信仰を享けてきた。
昭和52年春、東京都の都市計画による猿江貯木場の移転に伴い、現潮見駅前に遷座されるが、平成13年12月崇敬なる旧東京官材共同組合長氏橋幸次郎氏及び東京広葉樹連合会会長長谷川建治氏、他関係諸氏の総意尽力で再び縁深きこの猿江の地に戻り、猿江神社の境内に安宮遷座される。
江戸時代より木材の守護神として商売繁盛、工事作業安全のご利益があるとされている。
尚、石燈篭一対(弘化5年)、石水盤(貞享3年)は区の有形文化財である。

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