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品川寺(南品川)山門

写真: 品川寺(南品川)山門

写真: 品川寺(南品川)十三重石塔 写真: 品川寺(南品川)江戸六地蔵

mixiアルバムコピペ――
旧東海道中4 品川寺
2010年11月18日 19:06
10.11.02.
●品川寺(ほんせんじ)――
大同年間(806〜810年)に弘法大師によって開山。山号は海照山。品川左京亮(しながわさきょうのすけ)伝の水月観音・聖観音両菩薩霊像を本尊とし奉る。長禄元年(1457)、江戸城を築いた太田道灌により伽藍が建立され、寺号を大円寺と称す。その後戦乱により荒廃するが、承応元年(1652)、弘尊上人により再興され、現在の寺号となる。
江戸三十三観音霊場31番霊場。東海三十三観音霊場21番札所。東海七福神の毘沙門天。江戸六地蔵の第一番。

●境内の鐘には、明暦3年(1657)の銘があり、四代将軍家綱の寄進とされている。鐘身に六観音像。
この鐘は幕末に海外へ流出し、パリ万博(1867年)、ウィーン万博(1871年)に展示されたと伝わるが、その後所在不明となっていた。大正8年(1919)、当時の住職であった仲田順海は、鐘がスイス・ジュネーヴ市のアリアナ美術館に所蔵されていることを突き止め、返還交渉を開始。外務大臣幣原喜重郎ほか多くの人々の尽力により、ジュネーヴ市議会は鐘を日本へ戻すことに同意し、昭和6年(1931)、同市の好意により品川寺に返還された。
平成3年(1991)には品川寺からジュネーヴ市に新しい梵鐘を贈る。品川区とジュネーヴ市は平成3年に友好都市となるが、交流の契機となったのがこの梵鐘とのことだ。
※品川寺は毘沙門天像に「宝クジ」を供えると当たる事で有名らしい。“ほんせんじ”→“とうせんくじ(当選くじ)”。語呂からきた説と毘沙門天像の御利益が本当にあるとの説。

●空海(くうかい、宝亀5年(774)〜承和2年3月21日(835年4月22日))──
平安時代初期の僧。「弘法大師」の名で著名な真言宗開祖。(諡号。921年醍醐天皇贈呈)俗名は佐伯眞魚(さえきのまお(或はまな))。日本天台宗の開祖最澄(伝教大師)と共に、日本仏教の大勢が、今日称される奈良仏教から平安仏教へと、転換していく流れの劈頭に位置し、中国大陸より真言密教をもたらした。
能書家としても知られ、嵯峨天皇・橘逸勢と共に三筆のひとりに数えられる。

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