粟原城(鷲宮城。久喜市)本丸・小祠
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mixi記事コピペ――2017年02月23日 00:26
17.02.22.
あわばら。わしのみや。
築城年、建久年間
築城主、細谷氏(鷲宮神社 神主)
城主、細谷氏・大内氏
廃城年、永禄4(1561)年
遺構、無し
鷲宮神社神主 細谷氏が鎌倉時代に築城。
古代? 〜中世、鷲宮神社はかなりの権力を有していたとされる。(関東の武者たちは社格の高い鷲宮神社を崇拝していたという。)
永禄4(1561)年、小田原攻めの帰路、上杉政虎は木戸宮内少輔に命じこれを攻撃させた。この頃の神主は大内氏で、古河公方・北条氏康方についていた。
焼き討ちされるまで社領主の居館として使用されていたものと考察されている。(焼き討ちにあい破却されたので、鷲宮神社境内に居館を建て、そこに住んだ。その跡と考察されているのが神社裏手)
信憑性に足る史料がなく、詳細は不明。
現在の粟原地域は住宅と田畑が広がる平坦な土地だが、昭和初期にあった利根川の氾濫時に浸水しなかったという。つまりこのあたりは高台である(あった?)ということ。
城郭放浪記様m(_ _)m→ http://www.hb.pei.jp/shiro/musashi/awabara-jyo/
巡回マップ→ https://drive.google.com/open?id=1n7FXl59z93Omd64JgBAzU4whzdY&usp=sharing
アルバム: 埼玉県1 東部・利根・県央/武蔵国1
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