Help

三枚橋城(沼津市)本丸址碑

  • 224

Photos: 三枚橋城(沼津市)本丸址碑

Photos: 三枚橋城(沼津市) Photos: 三枚橋城(沼津市)本丸/中央公園

mixi記事コピペ──2016年07月30日 18:02

16.07.13.
のち沼津城
築城年、天正7(1578)年
築城主、武田勝頼
城主、甲斐武田氏(春日信達、小笠原信嶺)、徳川氏(松平忠次、大久保忠佐)
廃城年、慶長19(1614)年
遺構、石垣

参考「農兵節と三島女郎衆」様→http://nouheibushi.kan-be.com/page018.html
周辺城砦地図(「城郭放浪記」様。いつもお世話になっておりますm(_ _)m)→ http://www.hb.pei.jp/shiro/suruga/numazu-jyo/

天正6(1578)年3月、越後上杉氏内訌、御館の乱において、甲相同盟は再び崩壊。武田勝頼と北条氏政は敵対関係となる。
※御館の乱→「膳城」http://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=500000098729340&owner_id=32815602
天正7(1579)年、勝頼は駿河・伊豆国境の最前線基地として三枚橋城を築城した。
同年3月、信濃国海津城代 春日信達が城代を務めている。(越後国境、北信濃情勢が安定した。)
天正8(1580)年、信濃国松尾城主 小笠原信嶺が在番。
天正9(1581)年、伊豆国 戸倉(徳倉)城代 笠原政清が後北条氏に反旗、武田方へ。(春日信達の調略)
長浜城→ http://photo.mixi.jp/view_album.pl?album_id=500000100170130&owner_id=32815602

駿河伊豆国境で武田・北条の小競り合いが、武田氏滅亡まで続く。

天正10(1582)年2月、織田・徳川連合軍が武田領侵攻を開始。
同年2月29日、後北条氏も武田領侵攻を開始し、戸倉城を落とす。
3月28日夜、春日信達は三枚橋城より逃亡、これにより落城した。
春日信達は海津城へ落ち延び、小笠原信嶺は降伏、信長より本領を安堵される。
開城した三枚橋城に入ったのは家康軍で、松平忠次(←榊原3代 忠次←大須賀忠次)が城主となる。

駿河伊豆国境で徳川・北条の小競り合いが、北条氏滅亡まで続く。

天正18(1590)年3月、小田原征伐へ東下する豊臣秀吉が休息所として使用。このとき津軽為信が謁見し、所領を安堵された。

慶長6(1601)年、大久保忠佐が入城、沼津藩主となる。
慶長18(1613)年、忠佐が死去。継嗣のなかった沼津藩大久保家は断絶、翌慶長19(1614)年に廃城となった。

Albums: Public

Favorite (0)

No one has added this photo to his favorite.

Comments (0)

"No comment yet, please write the first comment.

To make comments on artworks, click Login. User registration here.