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2020_0712_154632 【KS70】

写真: 2020_0712_154632 【KS70】

写真: 2021_0307_122421 KW50 写真: 2020_0614_162053 KS73 エコノミカルトラック

叡電720型の履くKS70型台車
写真中央当たりの銘板(エンブレム)には製造会社の「汽車会社」と、製造された「昭和38年」の記述があります。
汽車製造株式会社は明治29年に設立された、日本で最初の民間の蒸気機関車製造会社で通称「汽車会社」と呼ばれていました。昭和47年に川崎重工に合併されました。

この台車は元々は京阪の特急用電車である1900系が履いていたものです。
車軸と車軸の間にある提灯を潰したような部品が空気バネです。
今では当たり前の部品ですが、昭和38年当時は非常に贅沢な装備で、国鉄でも新幹線か特急用電車・客車しか装備していませんでした。
昭和20年代後半〜昭和30年代には国鉄の技術研究所や鉄道車両製造各社で鉄道用の高速台車が非常に熱心に研究されました。その中でも台車研究の第一人者である高田隆雄技師を擁する汽車会社は空気バネの研究に熱心で、元々台車納入のお得意さんでカーブが多くて乗心地を良くすることに熱心だった京阪電車と組んで、次々と新しい空気バネつき台車を生み出しました。
KS50↓昭和31年に日本で最初に実用化された空気バネつき台車で京阪1700系特急電車の1759に装備されました。
http://photozou.jp/photo/show/251552/251728079
KS51、KS58↓ KS51はKS50の成功を受けて本格的に製造された空気バネ付き台車で京阪1810系特急電車ほぼ全面採用
KS58はその細部改良型で昭和34年に京阪2000系電車に採用されました。一般の通勤車への採用は最初の例です。
通勤電車は通勤時には定員を大幅に上回る数のお客さんを乗せます。そのため、乗心地を良くしようとして柔らかいバネを採用すると満員の時にバネが沈んで底づかえしてしまうので硬いバネしか採用できずゴツゴツした乗心地になるという問題がありました。ところが空気バネではタイヤと同じで空気を入れたり抜いたりすれば硬さを好きに選べるため、通勤電車でも常にソフトな乗心地が得られるようになりました。ですが高価だという欠点はまだ当時積み残されたままでしたので、京阪以外の会社ではあまり採用さていません。。
http://photozou.jp/photo/show/251552/119327819
その次に登場したのがこのKS70になります。
KS51、KA58は台車の枠から揺れ枕という、車両の左右方向にブランコのように揺れる部品が吊るされていて車体は空気バネを介してその上に乗っかっていました。(ですので空気バネは台車の低い位置にあります。)上下方向のクッションは空気バネが受け持ち、左右の揺れはこのブランコで緩和するというコンセプトでした。この構造は金属バネの台車の一般的な構造でもあります。
ところが、空気バネ付き台車の数が増えるにつれ、この提灯のような空気バネは上下だけでなく左右にも程よくクッションの効くことが解ってきて、それまでの揺れ枕を止めて、台車枠の上に直接空気バネと車体を乗せるようにしたものです。

タグ: KS70 叡電

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