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2014_0430_101006_快速特急

写真: 2014_0430_101006_快速特急

写真: 2014_0531_165815_懐かしい急行の看板

京阪の京橋〜七条間無停車の快速特急に今の「洛楽」という愛称がつく前のマークです。
大阪城と八坂の塔のシルエットが描かれています。

大阪⇔神戸間はJR・阪急・阪神
大阪⇔京都間はJR・阪急・京阪
の三つ巴競合区間になっています。
関東でも東京⇔横浜間のJR・東急・京急などトリプルトラッキングの区間はありますが、
東京側のターミナルがばらけていてそれなりに棲み分けられてるとか、そもそもお客さんが溢れるほど多いので、取り合いするというより手分けして運んでる、という感じもします。

大阪⇔京都間は明治の初めに人口の希薄な淀川右岸に今のJRに当たる鉄道が敷かれ、明治の終わりに人口の多い淀川左岸の京街道沿いの集落を縫って京阪電車が敷かれました。
昭和に入って京阪は京街道沿いの曲がりくねった線路ではスピードが出せないため、大阪⇔京都直通のお客さんの便を図って淀川右岸にもう一本新京阪線を敷き、「特急電車」を走らせました。
こちらの新京阪線は初めから高速運転を狙って造ったので線路も直線的な高規格なもので電車もアメリカの最新技術を取り入れた強力な車両でした。
(↓今でも阪急正雀車庫で動態保存されています。ごつい電車です。)
https://www.youtube.com/watch?v=iwBeeyiSXlU
反面、当時は沿線は人口が希薄でダイヤにも余裕があったらしく、運転士さんがかぶりつきで前の景色を見ている子に「ぼく、つばめ抜かしたろかぁ。」といって東海道本線と並行する区間の手前でわざとスピードを緩め、蒸気機関車の引っ張る省線の特急つばめを先に行かせてから一気に加速して抜かす、というようなパフォーマンスをやっていたらしいです。まだまだ長閑な時代だったのですね。
(↓こちらの動画の29分20秒〜くらいに映像が残っています。)
https://www.youtube.com/watch?v=AvmZTDN6u2k&t=18s
やがて省線も吹田⇔京都間の電化が完成すると、こちらは流線形のモハ52型電車を投入して対抗しました。
http://photozou.jp/photo/show/251552/245660806
今の新快速の225系電車も窓周りがブラウンに仕上げられていますが、この電車からの伝統を受け継いだものです。
http://photozou.jp/photo/show/251552/178655925
昭和13年に乱立気味の交通事業の整理を狙って陸上交通事業調整法という法律が作られましたが、戦争が始まるとこの法律が国家統制的な使われ方をし始められ京阪電鉄は大阪⇔神戸・大阪⇔宝塚に路線を持っていた阪神急行電鉄と半ば強制合併させられる形で、京阪神急行電鉄となりました。
終戦後の昭和24年、再び京阪と阪急が分離しますが、諸般の事情で新京阪線は阪急側に残り、阪急京都線となります。それまで京阪本線は直通客は新京阪線に任せて急行と普通で沿線サービスに専念していましたが、この時から直通客に対応した大阪市内〜京都市内ノンストップの「特急」を走らせざるを得ない状況になりました。
スピード勝負の新京阪線が阪急京都線として競合路線となってしまい、所要時間で劣る京阪は電車にテレビを積んだり、国鉄の一等車並みの座席を積んだりしてサービスで対抗するようになります。
一方東海道本線は、滋賀県の草津から兵庫県の西明石までの長大な複々線化が完成し線路容量に余裕ができ、内側の2線は大阪鉄道管理局の裁量で使えるようになりましたので、長距離の特急列車や貨物列車に遠慮することなく京阪神地区最適ダイヤで運転できるようになり、通常国鉄は全国標準の電車を入れるのが通例のところ、京阪神間は私鉄との競合が厳しいため117系電車という1ランク上の電車を投入しています。この117系電車で運転される「新快速」という種別も関西独特のもので私鉄の「特急」「急行」「普通」に対抗して「新快速」「快速」「普通」の3本立てにしたものです。
http://photozou.jp/photo/show/251552/178655220
ですが国鉄は戦後の引揚者を大量に雇用して人員が多すぎたり、労働組合が台頭し過ぎたりと体質的な問題で赤字・値上げ・車両設備の老朽化・近代化の立ち遅れ・サービス低下と次第に競争力が衰えていき影が薄くなります。
私鉄王国の関西が一番輝いていた時期だと思います。
1987年、国鉄がJRになり、JR西日本は他のJR各社とは異なった戦略をとっています。特急・急行は後回しにして近郊路線の刷新に力を入れました。その第一弾が新快速・快速に投入された221系電車です。
http://photozou.jp/photo/show/251552/254628634
窓が大きくて全て転換クロスシートの快適な電車です。徐々にサービス向上に努めます。
東海道本線も複々線全てがJR西日本のものになりましたので複々線をフルに利用した柔軟なダイヤが設定できるようになりましたが復権までは少し時間がかかります。
転機になったのは1995年1月に発生した阪神淡路大震災です。
この時、特に阪神間の鉄道は壊滅的な被害を受けましたが、全国的な物流への影響度を考慮して貨物列車の通るJRの復旧が優先されました。
この時に今までしばらく見向きもしなかったJRを利用したら昔とは全然違って速くて奇麗でサービスも格段に良くなっていることに多くの人が気づき、そのまま多くの乗客がJRに流れました。
その後もJRの勢いは止まらず、特急が130km/hで走る東海道線の外側線に新しい223系電車を投入して新快速も130km/h運転を始めると、私鉄各社はスピ−ドではもう追いつけなくなり直通客はJRに移って行きました。
そのため京阪間では阪急も京阪も2000年頃から沿線客重視に軸足を移していきます。それまで途中ノンストップだった特急電車の中間駅への停車が始まります。同時に急行を廃止して「特急」「普通」の2本立てにする代わりに各々10分間隔と高頻度運転に切り替えて今日に至っています。
一方で2010年代に入り政府が観光立国を目指すと宣言して以来、大阪・京都とも観光客が年々増加しています。観光スポットへのアクセスという目で見ると、特に京都側で東山を縦断する京阪・河原町や嵐山に向かう阪急に利があります。京都駅からの移動を考慮すれば速度差はキャンセルされて余りある状態です。そのようなことからインバウンドをはじめとした直通客が再び増加してきました。そのあたりを受けて嘗ての京都市内〜大阪市内ノンストップの列車が復活しはじめました。

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コメント (10)

  • kame

    関西の鉄道 JR VS 私鉄の歴史、興味深く拝読しました。亡き両親はずっと「省線」と言ってたので懐かしいです〜

    2020年5月24日 09:24 kame (11)

  • トクさん

    興味深く読ませていただきました。
    自分の生きて来た時代を重ね合わせて、懐かしさと共に拝読させていただきました。
    ありがとうございました。

    2020年5月24日 18:33 トクさん (10)

  • キューチャン

    kameさん
    ☆とコメントありがとうございます。明治生まれのウチの祖母は京都に住んでいて着物の生地の商売をしていたので梅田までの阪急の定期を持っていましたが、四条大宮からバスではなく地下鉄で行く、と言い、大阪に行くときは新京阪で行くとか旧京阪で行くとかよくわけのわからないことを言ってついぞ阪急という言葉を聞いたことなく子供心に不思議でした。それともう一つの不思議は定期の年齢が何年経っても58歳で止まっていたことです。祖母の本当の年齢も子供には謎でした。
    旧京阪はおばあちゃんの造語?ですが新京阪が実在したと知ったのは高校生くらいになってからですし、大宮〜西院間の地下線は大阪の市営地下鉄より早く関西で最初にできた地下線だったので世間でも「地下鉄」と呼ばれていたというのも知ったのは大人になってからです。

    2020年5月25日 00:29 キューチャン (36)

  • キューチャン

    中古のふさん
    ☆ありがとうございます。

    2020年5月25日 00:39 キューチャン (36)

  • キューチャン

    桜日和さん
    ☆ありがとうございます。

    2020年5月25日 00:39 キューチャン (36)

  • キューチャン

    xkazexさん
    ☆ありがとうございます。

    2020年5月25日 00:40 キューチャン (36)

  • キューチャン

    B707B787さん
    ☆ありがとうございます。

    2020年5月25日 00:40 キューチャン (36)

  • キューチャン

    トキゾウさん
    ☆ありがとうございます。

    2020年5月25日 00:40 キューチャン (36)

  • キューチャン

    トクさん
    ☆とコメントありがとうございます。
    お楽しみ頂けたようで、こちらこそ有難うございます。
    今の阪急電車はどの線を見ても電車は瓜二つですが、実は今だに当時の規格を引きずっていて、神戸・宝塚線の車体より京都線の車体の方がほんの少し大きいので京都線の車両は神戸・宝塚線に入れない、とか、神戸・宝塚線の車両の電気部品は東芝製が多いが昔からの取引お付き合いがあるからだと思いますが京都線の車両は今だに京阪と同じ東洋電機製が多いとか、いろいろ名残が残っています。トクさんのお住まいの方ですと、阪和線が歴史を紐解くと一番紆余曲折が多くて面白いですよ。

    2020年5月25日 00:56 キューチャン (36)

  • キューチャン

    ニエブラさん
    ☆ありがとうございます。

    2020年5月25日 00:56 キューチャン (36)

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