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マブチモーター社長宅で殺人放火事件 2002年8月5日

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Photos: マブチモーター社長宅で殺人放火事件 2002年8月5日

Photos: アンディ・ウォーホル生誕 1928年8月6日 Photos: 国民総武装が閣議決定される 1944年8月4日

子供の頃はプラモデルが好きだった。
そのジャンルを大別すると、車、飛行機、船(戦艦)、戦車、城、なぜか屋台シリーズ、などだったと思う。
自分が好きなのは車だったが、高価で細部までリアルに再現するような高級プラモデルではなく、レーシングカーや市販車をモデルとした当時700円前後で買えた、モーター駆動のプラモデルだった。
このプラモデルに使用されていたのが「マブチモーター」で、すこし濃い目のオレンジ色をした小さな箱に「MABUCHIMOTOR」のロゴ(「M」は小文字の書体「m」)が大きく書かれ、白く抜かれた部分には手書きのような数字で品番が記されていた事を憶えている。

いつだったか、このマブチモーターの会社が自分の住む松戸市(松飛台工業団地)に本社がある事を知って驚いた。
沿革を見ると、
1965年3月 - 千葉県松戸市に小型マグネットモーターの一貫生産体制を整えたモデル工場を建設する。
1971年7月 - 千葉県松戸市に本社社屋を建設、生産管理、経営管理の一元化を図る。
と、ある。

この頃、八柱霊園の東側にできていた大きな建物が、その工場か本社屋だったのだと思う。
当時は、外壁が魚の鱗というかスパンコールのようなもので覆われ、キラキラと輝き、風に揺れて模様が動く派手な建物だった。


【マブチモーター株式会社】
小型モーターに特化した会社で、世界シェアの有鉄心モーターで業界一番のシェアを占める電気機器の大手。
1947年夏、創業者の馬渕健一氏が、フェライト磁石を使った有鉄心ブラシ付小型モーターを発案、これを玩具や模型のために売り出し世界中で認められた。
初期の頃は、ゼンマイに代わる「おもちゃのモーター」と見られていたが、現在では国内外の製品(車のパワーウィンドウ・ドアミラー・ドアロック、光学ドライブ、インクジェットプリンター、シェーバー、ドライヤー、小型マッサージャー)などにも幅広く使用され、圧倒的な価格競争力と高信頼性、生産能力でトップシェアを占める。


【馬渕健一】
1922年11月13日:香川県高松市のブリキ工場を営んでいた家に出生。
1946年:関西理科研究所を創業。小型マグネットモーターを開発。
1954年:東京科学工業を創業。
1971年:マブチモーターへ社名変更。
1985年:社長を弟の馬渕隆一氏に譲り会長へ。
1999年:会長を引退し名誉会長へ。
2005年7月16日:心不全のため松戸市松戸の新東京病院で死去。享年82


【マブチモーター社長宅殺人放火事件】
事件は、2002年8月5日午後、千葉県松戸市常盤平の馬渕隆一氏(当時社長)の自宅で発生した。
社長の夫人(当時66)と長女(当時40)を絞殺。高級腕時計や指輪など966万円相当を奪った上、ふたつの部屋に2ストロークエンジン用のガソリンとエンジンオイルの混合燃料を撒いて放火。木造2階建て住宅延べ約170平方メートルを半焼させた。
一部の貴金属製品は盗まれたが、金庫等は荒らされず、多数の宝石類や現金などが残されていた。

そのため、犯人の目的が金品強奪なのか怨恨なのかの絞り込みができず、犯人が特定されることなく二年以上が経過した。


【事件の解決】
2005年1月18日、群馬県で発生した窃盗容疑で二人の男が逮捕されると、捜査本部に匿名の情報がもたらされた。
『この事件の犯人である小田島鐵男と守田克実の二人は服役中に知り合っている。自分は二人から馬渕社長宅への強盗に加わるよう誘われた』という内容だった。
その後の捜査本部の調査で、馬渕社長宅放火殺人事件の二日前と事件当日、松戸市内の国道を走行する守田克実の車を監視カメラの映像で確認。また事件後にフィリピンに渡航していたことなども判明し、二人を更に厳しく追及した結果、犯行の一部を自供したため、同年12月7日に千葉県警我孫子署と松戸東署の合同捜査本部は二人を放火殺人容疑で再逮捕した。

二人は他にも、2002年9月24日に東京都目黒区にて歯科医を殺害し現金を強奪、同年11月21日に千葉県我孫子市で金券ショップの経営者ら2名を殺害し現金を強奪。老人ばかりを狙った連続強盗殺人事件への関与も認め、警察庁広域重要指定事件(広域重要指定124号)にも指定された。



「マブチモーター社長宅殺人放火事件」に関し犯人は、『資産家であれば誰でもよかった』と供述したという。

多数の金品が残されていた理由については、「長女に金品の場所を聞きながら物色したが発見できず、金庫の開け方にも詳しくなかったため、そのまま二人を殺害した」と、されている。


【裁判】
この事件では従犯であった守田克実には2006年10月6日、主犯の小田島鐵男(後に畠山鐵男と改名)には2007年3月22日に、それぞれ千葉地裁で死刑が言い渡された。

主犯の小田島鐵男は、2007年11月1日付で東京高裁への控訴を取り下げ死刑が確定。
従犯の守田克実は、2008年3月3日東京高裁で被告側控訴棄却。2011年11月22日には被告側上告棄却で死刑が確定した。







この事件で被害に遭われた長女の方は、事件の日付と年齢から、もし公立の中学に通われていたならば、自分と同じ時期に同じ学校へ通っていたのではと思われる。










写真は、現場の跡地に建設された「安全安心ステーション」。

馬渕さん遺族の「安心して住める町づくりに活用してほしい」という意向を受けて建設された。
建設費約2,700万円のうち、1,500万円を馬渕さんの遺族が寄付したという。

庭の花壇には、「寄贈者の思い」と題したプレートが設置されている。

そこには、
「この地域に於いて、再び痛ましい事件や大災が起こらぬことを願い、犯罪や大災の未然防止と抑止の体制を一日も早く、整備確立すべきものと考えます。
永年にわたりお世話になった、近隣のみなさまの安心と安全のためにも、旧自宅跡地を地域防犯・防災拠点として活用願いたく松戸市に寄贈いたしました。
市民にとってより安全で安心な街づくりの為、防犯・防災体制の確立に些かなりともお役に立つならば寄贈者としましても喜びとするところであります」
と、刻まれていた。

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