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熊野本宮大社

写真: 熊野本宮大社

写真: 石段を踏みしめ 写真: 目的地前

私が目指した先。
本当は、熊野古道を歩いたりしたかった。
ただ、車等を運転できない私には厳しい現実。
ここ「だけ」に来る。まずはそれで精一杯。

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コメント (3)

  • nophoto_70_mypic.gif

    趣ありますね〜(´∀`)
    ここと熊野古道って、どういう関係なんですか?(調べず丸投げっ ( ´∀`)ノ⌒○)Д`)ブニュ)

    2013年5月8日 00:10 退会ユーザー

  • ぼーもあ

    >sa_den 様
    ここ(本宮)と那智大社、私が行かなかった速玉大社を合わせて熊野三山と言います。
    奈良時代以前から熊野周辺では自然崇拝が根付いております。
    山伏は確かここいらが発祥だったはずです。

    奈良・平安時代の帝の行幸に合わせて、貴族の熊野詣でが盛んになり、
    江戸時代になると庶民も伊勢詣に合わせて熊野詣を行うようになりました。
    一時は信仰心の厚さを「伊勢に七度、熊野に三度」で測ると言われるほど、
    熊野詣は盛んだったようです。

    一般人が往来するようになれば、当然道の整備も必要になります。
    つまり、熊野古道は「熊野三山に参拝するための道」ということになります。

    元々この辺りは降雨量の多い山麓であるため石畳が敷かれ、
    伊勢〜熊野、熊野〜伊勢、大坂〜熊野、高野山〜熊野を繋ぐ道が造られ、
    大坂から紀伊半島までを紀伊路、伊勢から熊野までを伊勢路と呼び、
    熊野周辺の道は小辺路、中辺路、大辺路と大きく3つの分類で分けられています。
    そのすべてを一応は熊野古道という名称で呼んでいるようです。

    私が見たのはそのほんの一部ですし、有名なのは伊勢路からのルートのようです。

    2013年5月8日 00:56 ぼーもあ (12)

  • ぼーもあ

    付け加えるとすると、明治期の神仏分離令により熊野詣そのものが衰退しました。
    それにより、石畳の道は残されているものの、詣でるためのルートは、
    現在言われているものが全てではないのではないか、とも言われています。

    大正〜昭和あたりに国道が整備されて消えてしまった石畳の道もあるそうですが、
    もしかしたらまだ未発見の道・ルートがあるかもしれないですね。

    2013年5月8日 01:00 ぼーもあ (12)

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