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鮮やかな亡失感

写真: 鮮やかな亡失感

写真: 秋の源光庵 写真: 盤桓去りがたし

初夏(GWの頃)との違いは、
最寄りの三宅八幡駅からの案内板がいたるところにあったことです。

あぁ、また有名になっちゃうんだなぁと実感しました。
風景の鮮やかさの反面、ちょっと亡失感。

源光庵で散々聞いた「チョーキレーイ」や「マジスゴーイ」を、
ここでもいつかは聞くことになるのかと思うと、
ますます残念に思います。

似たような感覚をお持ちなら、言葉で表現しなくとも、
貴方の横の方は同じことを思っています。
外に出てから話して下さい。

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コメント (8)

  • nophoto_70_mypic.gif

    メジャーになり過ぎるのも残念なときは有りますね
    アンダーのなかに紅葉が綺麗です

    2012年11月25日 08:03 退会ユーザー

  • ぼーもあ

    >らいだー 様
    こちらは元々、紅葉に関してはぼちぼち有名なお寺ではあったのですが、
    決して大きくはないお寺です。修学旅行は受けつけていませんし。

    行った私が言うのも何ですが、そのうち写真撮影不可とか、
    事前予約制とか、何かしらの制限がかけられるのではないかと
    危惧しています。

    人が多かったのは、初夏の「そうだ 京都、行こう。」で
    紹介されたことも後押ししたのかと個人的には思っています。

    季節問わず、景色は綺麗な場所なので多くの方に私個人はご覧になって
    いただきたい想いはありますが、一方で、あまり大勢が行くのも何だかなぁと
    思う気持ちもあります。ちょっと複雑です。

    2012年11月25日 15:00 ぼーもあ (13)

  • saden

    例の言葉に対する嫌悪感は、こういう体験からもきてるんですね?(;´∀`)

    2013年3月24日 14:11 saden (25)

  • ぼーもあ

    >sa_den 様
    「観賞」とは(大辞泉より)。
    [名](スル)物を見て、その美しさや趣などを味わい楽しむこと。

    「鑑賞」とは(大辞泉より)。
    [名](スル)芸術作品などを見たり聞いたり読んだりして、
    それが表現しようとするところをつかみとり、そのよさを味わうこと。

    風景というのは視覚だけでなく、聞こえる音、畳の臭い・質感も含めての風景です。
    見たものを「チョーキレーイ」、「マジスゴーイ」、「ヤバーイ」で片付けるなら、
    それこそ本屋で写真集でも眺めていれば良いんです。立ち読み出来ますし。

    それを見て何を得たいか。見るまでに何を補う必要があるか。
    どんなに博識だろうと、素晴らしい体験をしようと、伝える能力が無ければ、
    知恵の無いサルと一緒です。
    話すなと言いたいわけではないんです。
    話すなら話すなりに、何処の何が良いのかを表現して欲しいのです、静かな声で。
    出来ないなら黙っていて欲しいんです。静けさも風景の一部ですから。
    だから私は風景を収めに行く時は一人です。本当に見たいものは一人で見たいから。

    2013年3月24日 14:27 ぼーもあ (13)

  • Kanze

    お気持ちよくわかる気がします。

    2013年5月9日 22:43 Kanze (171)

  • ぼーもあ

    >Kanze 様
    まぁ、わがままなんです、結局のところ。(笑)

    2013年5月10日 00:47 ぼーもあ (13)

  • Kanze

    いいえ、ひとつのご意見です。
    世界の大多数の国や文化では我がままと捉えたりはしないのではと思います。

    2013年5月10日 01:51 Kanze (171)

  • ぼーもあ

    >Kanze 様
    昔の映画で「紅い眼鏡」という作品があり、
    そのキャッチコピーが「正義を行えば、世界の半分を怒らせる」というものでした。
    結局、自分の我を押し通すことが他人を怒らせることにもなる。
    私は自分の家でもない場所で無駄な争いを招く気は無いので、
    押し黙り耐え忍び、人が過ぎ去るのを待つだけです。

    2013年5月10日 22:12 ぼーもあ (13)

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