Lancia Rally 037 1983(ランチア ラリー 037 1983)2
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Lancia Rally 037 1983
ランチア ラリー 037 1983
DeAGOSTINI RALLY CAR COLLECTION 60
隔週刊ラリーカーコレクション 60
1983年ラリー・サンレモに出場した、
ドライバー、ミキ・ビアジオン、
コ・ドライバー、ティツィアーノ・シヴィエロ組が使った、
ランチア ラリー 037を再現したモデルです。
ランチアの歴代WRCマシンは、アリタリアカラーをまとったストラトス、
マルティにカラーのラリー 037、デルタ。
と、特徴的で印象に残るカラーリングが施されていることでも有名だった。
そんなランチアのカラーリングは、ワークスのマシンだけではなく、
グリーンとオレンジのカラーリングのtotip(トティップ)カラーで、
高い人気を誇るプライベートチームがある。
それが、ジョリークラブである。
ジョリークラブは、1957年のイタリア・ミラノで、
自動車、モータースポーツに情熱を注ぐ、有志たち、
マリオ・アンジオリーニ音頭の元、発足した自動車クラブである。
才能あるドライバーをイタリア車で、レース、ラリーに参戦できるようにサポートするという、
スタイルでモータースポーツに携わっていくことがクラブの基本方針としていた。
後にF1ドライバーとなった、アルトゥーロ・メルツァリオを支援したことや、
ランチア ストラトスで、有名になったサンドロ・ムナーリの黎明期を支えたこともある。
元々は、レースとラリーの両方に力を入れていたが、
徐々にランチアの関係もあり、ラリーの重視となっていく。
グループB時代には、ランチアのセミワークスとなり、
マルティニカラーのランチアのワークスを支える、セミワークスとなっていった。
ラリーの名門ランチアのドライバーシートは、
毎年、世界のトップドライバーが狙う売り手市場だった。
しかし、ランチアとしては自国イタリア人選手がランチアのステアリングを握り、
ワールドチャンピオンになるストーリーを求めた。
そこで、イタリア人ドライバーの発掘、育成をになうことになったのが、
ランチアのセミワークス的存在のジョリークラブであった。
そして、アレックス・フィオリオやダリオ・チェラートといった、
有能なドライバーを育成していった。
そんな中で最高の成功例が、ミキ・ビアジオンを育てたことである。
当時、ランチア・フィアットが主催していた、
若手ドライバー育成プログラムとは無関係にステップアップしていた、
ミキ・ビアジオンに当初ランチア陣営はチームに招くことを躊躇していた。
しかし、実力は半端なく、シートをオファーすることにした。
しかし、いきなりワークスで走らせることはさせなく、
ヨーロッパ選手権で経験を積ませた。
その時に受け皿となったのが、ジョリークラブである。
その時にミキ・ビアジオンが使っていたのが、
このカラーリングのラリー 037で、ヨーロッパ選手権では大活躍した。
そして、1983年のラリー・サンレモにジョリークラブとして、WRC初参戦をした。
トップ3をマルティニカラーのワークスのランチアが独占した、
このラリー・サンレモで、5位に入った。
実力を徐々に認められ、WRCへのスポット参戦は年々増えたが、
1985年までの3シーズンは、ジョリークラブとして参戦した。
1986年のグループB最後の年についに、ミキ・ビアジオンは、
マルティニカラーのワークス・ランチアのドライバーとなる。
そして、ミキ・ビアジオンは、1988年、1989年に2年連続して、
2度のワールドチャンピオンとなり、
ランチアが欲したストーリーを具現化しただけではなく、
ミキ・ビアジオンの成長を支えた、
ジョリークラブは名門プライベートチームとして広く知られることとなった。
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