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庚申像と石敢當 吉野公民館 鹿児島市

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写真: 庚申像と石敢當 吉野公民館 鹿児島市

写真: 石敢當 稲荷町 鹿児島市 写真: 石敢當 東坂元町 鹿児島市

庚申像と石敢當 吉野公民館 鹿児島市

立て看板の記述は次の通り
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庚申像と石敢當

 「庚申信仰」とは60日毎に巡ってくる干支の庚申の日の夜、人間の体内にいて行動を監視している「三尸(さんし)」という虫が、人間が眠っている間に抜け出し天帝(天の神様)のもとに昇って、その人の悪事を告げると寿命が縮められると信じられていた。そこで人々はその日の夜は当番の家で身を慎み一晩中眠らず会食談笑し健康長寿、厄除開運などを願い庚申塔(像)も建てたりした。この猿像は庚申三猿(見ざる、聞かざる、言わざる)の一つ「言わざる」と思われ、他人の欠点を言わないという謹慎態度を示し戒めています。又、猿は邪視(悪魔に睨まれること)を避ける力があると信じられていました。
 「石敢當」は悪魔を追い払う魔除けの石で、道路の突き当たりや袋小路の行き止まり等にある家には、悪魔が真っ直ぐ入り込むと恐れられていたので門や塀にこれを建てた。石敢當信仰は二千年位前に中国で起こり、沖縄や南九州に広く分布しましたが、現在は数も少なく貴重な石碑です。
※この庚申三猿像と石敢當は坂元町の名越左源太屋敷跡にお住まいの橋口氏より歴史資料として譲り受けたものです。
※名越左源太はお由羅騒動に連座して奄美大島に流罪となりましたが、その地での見聞録「南島雑話」は貴重な史料として高く評価されています。

平成19年11月 吉野史談会
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「石敢当探訪 第7集」久永元利 著 (鹿児島県立図書館蔵) によると
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現刻字: 石敢當
推定年: 安政5年(1858)
サイズ: 48x20x13
形状: 頭屋型
素材: 凝灰岩
設置場所: 吉野3074・公民館庭・裏面刻字石敢當坂田の田の名越左源太畑屋敷跡付近に放置を保
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Google のストリートビューより
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