伏見古絵図
江戸名所図会が描かれた時代と、橋の名前などは
変わらず今に残っているようです。
右下の絵図は、南北が逆転、下が京都方面です。
左図の右上部「御城山」は伏見城かな・・・
現在、暗渠になっているところもあるんでしょうが
基本的に川の流れは同じだと思われます。
アルバム: 2014年京都・奈良・大阪
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コメント (2)
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昨日の今日だから川の中の実線は定期船の航路なのでしょう
京橋のたもとから伏見口へ下る船便はすべて手漕ぎでギイギイ漕いで行ったのでしょうね、時間がゆっくり流れていたのでしょうね
反対は上りで漕いで上がったのでしょうか、今の川幅8m〜15mぐらい狭い水路ですね、当時はどのくらいだったのでしょうか、絵図はずっと大きそうですけど2014年6月24日 12:54 tH (3)
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tHさん、おはようございます
昔の絵図では、随分と川幅や池が大きく強調されて描かれてるよね、
伏見港や川の流れ、川に架かる橋をより目立たせるのが目的の絵で
しょうからね(*^^)v
動力の無い昔、大阪方面への川下りはそこそこだったでしょうが、大阪
からの上り舟は、殆どが綱で舟を曳いていたようですよ。また、下の
ブログの中の絵には、伏見港の様子や、帆掛け舟も見えます(^^)/~~~
http://homepage2.nifty.com/bu-ra-ri/hirakatazyuku.htm
http://www.kyoto-wel.com/yomoyama/yomoyama10/059/059.htm2014年6月25日 06:34 早起き鳥 (6)
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